89枚目 大野町子ども食堂の話
みなさんこんにちは。
ミスベティー代表の白川です。
今回は、大野町で開催されている、こども食堂ついてお話します。
まず、昨年から継続している、池田町の宮地地区で開催している「みやじ子ども食堂」ですが、おかげ様で1年間毎月開催することが出来ました。
その間、町会議員、町長、県会議員さんの視察などもあり、ある程度の成功事例として認知して頂いたようです。
なにやら、池田町の子育て支援策の好例として、子ども食堂活動に予算が出るという話になっているそうです。
初めて、みやじ子ども食堂を開催したときは、手探りも良いところで、主催者の渡辺さんの出費が5万円を超えて、継続できるのかと議論したものです。
1年間頑張って続けてきたことが、認められて本当に良かったと思います。
今年の2月から、大野町の「わっか」という施設で毎月第3土曜に子ども食堂を開催しているグループがあります。
グルーンホテル小松屋の小里さんを中心としたグループ「かみひこうき」さんです。
以前から、お弁当配布事業などを黒野地区を中心に活動されていたそうで、お母さんたちのお料理チームという印象を持っています。
小里さんは、大野町で活動が盛んな地域サロンの先駆者ということです。
地域サロンを数十年前に始めたきっかけのお話を伺ったのですが、昨今の子ども食堂ブームに通じる物がありました。
私の考えや活動に近いことをずっと前から大野町で続けてこられたすごい人です。
簡単にご説明すると
経済成長の流れに乗って、鉄道も出来、大野町民の働き方・暮らし方に大きな変化が生まれた。
外から新しい人も移住してくるようになったのは良いが、元からあった地域の繋がりなどが次第に希薄になっていく危機感があったそうです。
地域の人たちが集まって、お話する楽しい場所を作り、地域の繋がりを強くしたいと思い、地域サロンを始めたそうです。
これは良いということになり、少しずつ大野町の各地域で地域サロンを開かれるようになったようです。
それが令和の時代にも継続して残っています。
その世代の方たちの連帯感と団結力の強さに驚かされるエピソードです。
そんな活動を長年続けられている小里さんですが、子ども食堂を始めようと思ったきっかけも、上記の地域サロンの流れに似ていました。
コロナ禍で人々の繋がりが薄くなっていることを危惧し、特に子育て世代の繋がる場所を提供したいと考え、子ども食堂を始めたいと思うようになったそうです。
当初は、子ども食堂の場所の確保が安定せず、お弁当配布事業などを通じて、繋がりを作る活動をされていました。
大野わっかが整備されたことで、今年の2月から毎月開催で子ども食堂を開催出来るようになったそうです。
私との関わりは、みやじ子ども食堂の活動を通じて、大野町で子ども食堂を開いている人が状況を知りたいというお話があり、小里さんと繋がることが出来ました。
インスタグラムなどのSNSを通じた宣伝などを活用することが出来ないので、どうやって大野わっかまで、子育て世代に来てもらえるか。 これが課題でした。 ちなみに今も課題です。
大野わっかは、旧ことばの教室?という場所を改装して作った、地域住民が自由に活用できる施設です。
たしか無料で利用することができ、駐車場も10台程度あり、施設の規模も普通の一軒家くらいの大きさで丁度良いです。
場所は、大野小学校の南側に隣接していますが、同じ地区に住んでいる人でも気が付かないのではないかと思うくらい、分かりづらい場所にあります。
極めつけは、「大野わっか」ではグーグルマップで出ず、「大野ことばの教室」でないと出てきません。
活動の周知に課題を抱えていますが、出てくる料理はとってもおいしく、学校給食を思い出します。
また、活動されている方たちが、今の保育園ママたちのおばあちゃん世代にあたる方が多いので、おばあちゃんとの会話が安心できる場所に繋がるのではないかと思います。
わっかの2階は、板張りの教室のような雰囲気で結構広い空間が広がっています。
この空間を活用して、室内モルックや、ボードゲームコーナーなどを展開して盛り上げるのが、私の役割です。
遊びに来た子どもたちが自分たちで盛り上げくれるので、環境を用意するだけでよいですから、楽ちんです。
人との繋がり、地域での交流などがなぜ大切なのか、それが子ども食堂という活動とどのように繋がり、効果的な場所になっているのか。
そんなことを書こうと思いましたが、思ったよりも長文になってしまったので、またの機会にします。
最後に前回の大野子ども食堂のチラシを掲載します。
来月のチラシも、このコラムで告知していきたいと思います。