138枚目 13周年のお礼と今想う事&思い出話

みなさんこんにちは。
ミスベティー代表の白川です。

毎度のことながら、多忙でコラム更新が20日ほど空いてしまいました。
一度文章を書くことから離れてしまうと、戻ってくるまでに時間がかかりますね。

6月はいつも閑散期なので、少しは時間が作れると思ったのですが、夏季に向けて、新規営業や新商品開発などに追われて、気が付けば20日経っていました。
本当に色々な出来事があり、一つ一つ考えをまとめてコラムでご紹介したいことばかりです。

さて、今回は2024年6月20日でミスベティー本店が13周年を迎えますので、そのお礼と今、私が思うことを書いていきたいと思います。

ありきたりな言葉ですが、13年もお店を続けることは本当に難しく、多くのミスベティーファンの方や取引先のご協力があって、今に至ります。
日頃からミスベティーを応援して下さり、本当にありがとうございます。
※ちなみに、Google検索で「飲食店10年後生存率」で検索すると大体10%未満だそうです。

ここからは、私の個人的な想いや昔話です。
私がミスベティーに関わるようになったのが、18歳になったばかりの冬だったと記憶しています。
高校を中退して、アルバイトに明け暮れていました。

ある時、5年振りくらいに父から連絡があり、「観光地で大きな出店案件があり、売り子をして欲しい」と頼まれたのがきっかけでした。
父は離れて仕事をしていたので、家族との関わりが当時全くありませんでした。

家族を守る為に、やるしかないと思い、販売の仕事をガムシャラに頑張りました。
販売の仕事は、冬場で夜の仕事でした。
当時三重県の実家に住んでいましたので、12時頃に三重から岐阜に商品を取りに行き、そこから夜の10時頃まで販売。帰りはいつも11時前でした。
冬季期間中休み無しで続きますので、毎日寝不足の状態でひたすら売り場に出ていました。

そのうち商品が間に合わないということで、製造にも関わるようになり、夜10時に仕事を終えたあと、岐阜に戻り、翌朝6時頃から製造を開始して、そのまま販売に行って夜の10時まで売る。
という殺人的なスケジュールで働いていました。

これが2006年の出来事です。ミスベティーの創業が1994年なので、すでに12年経っていますね。

本当に毎日大変で、当時はミスベティーブランドの継続という認識はなく、家族を守るという一念だけでした。

その後、2008年にミスベティーブランドをフランチャイズの親である、株式会社ミスベティー(岐阜)から購入しました。

2008年の段階で、①ミスベティー大垣駅前店 ②大垣アピオ店 ③リバーサイドモール店の3店舗があり、全部のお店のシフトを組んでいたので、すごく大変だったのを覚えています。

19歳から21歳くらいまでは、大体リバーサイドモール店で店番をしており、店舗の飾りつけや、フードコート向けの商品開発やPOP掲示など色々なことを学びました。
地元の多くの方がご存じの通り、リバーサイドモール店はある日突然、閉鎖しました。
ミスベティーも「明日から数日店舗を閉鎖する」とだけ聞かされて、それっきり1年以上 施設の中に入ることは出来ませんでした。

リバーサイドモール店で働いていたスタッフの働き先を確保するために、近くで物件を探し、見つかったのが今のミスベティー本店です。

2011年5月頃にリバーサイドモールが突然閉鎖、6月20日にミスベティー本店オープンという超スピードでした。

フードコートのような簡易的なテイクアウトメニューの提供は出来ましたが、喫茶店のようなカフェサービスのノウハウが無く、完全手探り状態でオープンしました。
実は6月13日からプレオープンでしれっと営業していたのですが、プレオープン前日の12日深夜まで、POPを印刷してラミネート加工したのを覚えています。
大野町の多くの方が期待して、オープン当初からたくさんのお客様にご来店頂きましたが、素人集団の我々は、なんとか商品を提供するのに手いっぱい。
たくさんお待たせして、怒って帰る方が後を絶ちませんでした。

それでも継続していくうちに段々と分かってきて、モーニングサービスを中心にメニューが出来上がり、効率良く提供出来るようになっていきました。
当時はモーニングサービス全盛の時代と言っても過言ではないくらい、モーニングサービスにどのお店も力を入れていました。雑誌もモーニング一色です。
その波に乗って、8時の開店前に駐車場が満杯。 8時から11時30分までのサービスで平均100食提供していました。

当時は利益の計算などが甘々の素人経営だったので、お客様には喜んで頂き、すごい行列でしたが、まったく利益が出ず、サービス提供の質を高めるために、従業員を多く雇っていた分だけ、赤字だったと思います。
行列だったモーニングも3年くらい経つと少し落ち着き、従業員を抱えている分だけ大きく赤字が膨らみ、「モーニングサービスのお店をやっていたら、会社が潰れる」とようやく気が付きました。

利益はまったく出ませんでしたが、地元の方に愛されるお店として、数年間モーニングサービスが提供出来たことは、ミスベティーにとってプラスだったと思います。

地域に愛されるお店 地域に愛されるブランドや商品を意識するようになったのも、大野町でお店を構えて、地域のみなさんにモーニングサービスを頑張って提供してきたからだと思います。

その当時ミスベティーブランドのコアコンセプトを制定しました。
「誰もが好きになる優しい美味しさを割安感のある価格で提供することを追及し、地元に根付き、次の世代に繋がっていくお店を目指す」
この頃はミスベティーブランド20周年だったので、20年続いてきたブランドを次の世代に繋げられるように、もう20年続くお店を目指す!と息巻いていました。
未来に種をまくために、こどもたちへのワッフル無料提供や、地域との関わりを強化するために、地産地消商品の開発などに力を入れ始めました。

それから気が付けば10年近く経過しました。

目標のもう20年は2014年+20年なので 2034年ですね。
あと10年、折り返し地点に到達しました。

ミスベティーをやり始めた当初は、家族のために必死でしたが、今は、ミスベティーブランドを継続させつつ、地域に対する責任をどのように果たしていくのか、そんなことばかりを考えています。
まずは、しっかり利益を出して、お客様に喜んでもらえるサービスを提供して、安定した企業経営をすることが当面の目標でしょうか。

リーマンショックがあり、東日本の震災があり、コロナ禍があり、戦争による物価高があり、本当に色々とありました。
毎回、「今がこれまでの社会環境で一番厳しい」と感じています。

物価高の影響で個人消費が大きく減少している中、昨年と同じ売上を立てることが極めて困難な状況です。
例年通りが通用せず、みんな今を生きるのに必死なのだと感じています。

厳しい世の中だからこそ、楽しい話題があっても良いと思います。 毎月のワッフル感謝祭は継続予定です。
月に1度の大セール。 経営戦略的には、あまり賢い戦略ではないかも知れません。
ただただ、私の想いとしては、気兼ねなく、好きなワッフルを家族分購入出来る。そんなちょっと嬉しい一日を地元に作りたい。それだけです。

昔話と合わせて、ずいぶんと長文になってしまいました。

13周年企画のワッフル無料券プレゼントや、復刻ワッフルのプリンアラモードも大変好評です。
7月21日までのロングラン企画ですので、ぜひ期間中にミスベティー本店にお越しください。